現代社会が掲げるグローバルな目標は一見すると正論ですが、そこには構造的な矛盾が内包されています。環境保護と経済発展の二律背反を力技で解決しようとする動きの先には、個人の自由な発想や行動が制限され、デジタル通貨やAIによってすべてが集中管理される画一的な未来が透けて見えます。表層的な美辞麗句に躍らされるのではなく、言葉の裏にある本質を疑う批判的思考と危機管理の視点を持つことこそ、現代を生きる私たちの責務です。徹底的な管理体制の中に、人間らしい「豊かさ」など存在しません。真の豊かさとは、国家や組織のシステムに盲従して得られる利便性ではなく、自然の営みと一体になり、己の頭で考えて行動する主体性の中にあります。評論家のように国家や政府を批判するだけでは、限界を迎えた地球の現状は何も変わりません。他者に管理されるロボットのような生き方を拒み、大自然を守り、すべての生命を尊ぶ。この「原点回帰」の行動こそが、私たちが未来を生き抜く唯一の道筋であり、大人の至高の美学なのです。
SDGsで掲げる目標はどれもこれも正論です。聞こえの良いものしかありません。誰も反対できない17のお題目なのですが、どうも矛盾していることに気づきます。例えば、飢餓を無くすために、経済的な発展を促進すると、自然環境は悪化します。エネルギーをクリーンにするには、化石燃料を燃やさないようにするしかありません。でもそうすると、エネルギーは高騰します。海の豊かさを守るんだったら、漁を減らすしかありませんが、「貧困をなくそう」や「飢餓をゼロに」は達成できなくなります。表面的な言葉を信じるのではなく、言葉の裏にある真の目的を考えることです。2030年には、「世界中で頑張ったのに、実現できなかったから、他の方法を提案します。」などを理由づけにされて、「地球はひとつだから世界のバランスを集中管理します。そのために世界政府を樹立します。」なんてことになるのかもしれません。そうなった時に、私たちは、「あーそうだったか、そういう筋書きにノセられていただけなのね・・・」と気づくことになるのかもしれません。国家の上に統合する政府をつくり、ひとりひとりに番号が割り振られ、すべてが徹底した管理体制のもとに置かれます。AIが政治を方針を決定し、各国はそれに従う立場になります。国という形態は形式上残るでしょうが、事実上の力は失うでしょう。すべてがデジタル通貨に置き換えられれば、管理も容易くなるでしょう。また権力を握る者が力を行使するタイミングが来るのかもしれません。それに対抗する国があれば、戦争を始めて徹底的につぶすことになるのでしょう。勝てば官軍です。争いは、正義か悪かではなくて、強いか弱いかの価値観です。未来は、世界がひとつの画一した思想の中で、個人の自由な発想や行動には制限が付けられ、人間がロボットかモルモットのように操られる可能性が大いにあります。そんな未来に豊かさがあると思いますか?ひょっとしたら、人口削減だって簡単にできるようになるでしょう。人口削減が実現すれば、きっとSDGsで掲げる目標はどれもこれも達成されるでしょう。陰謀論だからと切り捨てるのは簡単です。見解はいろいろあるでしょう。それも事由ですし、自分で考えて決めることですが、陰謀論は危機管理のためのひとつの手法だと思います。「人を疑うのは悪いことだ」と教えられましたか?・・・いいえ、だから詐欺にあったら相手が悪くて自分は悪くないと言い張ることになりわけです。だから私は違うと思います。まずは疑問を持って、信用できるかどうか、自分の目で見て、自分の頭で考えて、そうして、信用できると思ったら、とことん信じ切る。それが本当じゃないでしょうか?もう地球は限界に来ています。国や政府のせいにしていても何も変わりません。評論家みたいにあれこれ言ってても何も変わりません。自分たちが行動するしかありません。地球を守ること。自然やすべての生き物を大事にすること。それが私たちが助かるための方法です。
快楽と幸福について、アメリカの心理学者ミハイ・チクセントミハイが記しています。「お金で買えるのは『快楽』であり、それは単純に『肉体と精神の疲労回復』のためのものである。本当に『幸福』を手に入れようと考えるならば、自己を成長させる体験が必要である。・・・」不幸な幼少時代を送った子供は、「快楽」を十分体験できなかったために、成人した後には、できるだけ多くの快楽を求めるようになります。自分を成長させようとすることに興味はなく、たくさんのお金でたくさんの快楽を・・・・・
現代の私たちは、便利なモノに囲まれて、近代文明を謳歌しています。しかし、文化的な生活とは・・・文明つまり現代的な便利なモノに囲まれて暮らすことではありません。「文明」と「文化」は異なる概念です。「文明」とは、物質的に生活が豊かになった状態のこと。「文化」とは、人類が培ってきた哲学・芸術・科学・宗教などの精神的活動のこと。別の言い方をすれば、「文明」は私たちの生活を豊かにするもの。「文化」は私たちの心を豊かにするものです。それでは「文化的で豊かな心」とは・・・・・
江戸時代はさまざまな文化が生まれ発展した時代です。江戸時代は、日本人の精神性も最高の時代でした。その背景には鎖国がありました。幕末に来日した外国人が、日本人の精神性の高いのに驚いて、多くの紀行文を書きました。そして、同時にこれから西洋と交わり悪くなると予言していました。事実そうなりました。戦争に負けた結果、西洋の論理思考文化に染まり、日本人の心は、西洋文化に征服され、占領されてしまいました。「欧米のモノがカッコよくて行けてる」と思いこまされ・・・・・
自分自身で考える力を養って、広い心や他者を認める人間力を身に着けるためには、感受性が大切です。つまり、「感じる心」です。そのためには、子どもにはさまざまな体験をさせて知的好奇心を育てることが最初です。「体験から何かを感じ知っていくこと」は、子ども自身が自分の考えで行動できるようになるために大切なことです。不便さを感じたり、辛さを経験することから〇〇だったらよかったのに・・・と想像力は養われます。想像力がなければ、他者の気持ちを理解することができない・・・・・
現代では、「区別」を「差別」と表現します。「他を尊重しないで自分勝手にふるまうこと」を「個性」と表現します。「利己主義」を「個人主義」と表現します。大雑把に見れば、同じようですが、それらの意味は全く違ったものになります。「平等」は「対等」ではありません。これらは全く異なる概念です。「利己的であること」は「個性的である」こととは違います。ニュアンスの違いでだいぶ違ったものになることは明白です。本来は、そういった違いを人間関係の中で揉まれて理解をしていく・・・・・
民主主義国家においては、戦争を始めるにあたって国民の同意を得ることは必要不可欠です。そのためは民意を動かし、参戦に同意させるほかありません。過去の戦争をみても、例外なく政府や国家元首がプロパガンダを用いて世論を誘導してきた事実は否めません。こうしたマインドコントロールや情報操作は、実に巧妙に私たちの心を書き換えてゆくものです。テレビ離れが進んでいる昨今ですが、それに代わって台頭しているSNSやYOUTUBEもプロパガンダのツールでしかない・・・・・
ネットで簡単に多くの情報が得られるようになりました。でも、多くの人は、自分の好きな部分だけ抜粋しているようです。それは承認欲求が満たされて気分がいいからでしょう。なんせ、気分がいいですから。誰かに何かを指摘されても、ちょっとググれば、自分と同じ意見の人に出会えます。だからそれで安心してしまいます。だから、何も努力もしようとをしない。そんな人が多くなったように思います。SNSを開けば、「これなら簡単に収入が増やせる!」という広告がたくさん出てきます・・・・・
「自分さえ良ければ、他人なんてどうでもいい」という考えが横行しています。「これは生物の本能だから、決して悪いということではない」という意見もあるでしょう。確かにそうです。弱肉強食の世界であれば、それでいいでしょう。多くの動物たちの世界ではきっとそうでしょう。弱肉強食の世界はアナーキズムです。無政府主義です。「俺は俺だから勝手にやる。だから政府なんかいらない!」という考えもわかります。それでもいいですが、医療や年金など国の福祉制度の恩恵を受ける・・・・・
金儲け主義の連中はこの国を捨てて海外生活をはじめているようですが、そもそも海外逃亡組は自分の生活のことしか考えていません。そもそも自分を育ててもらった環境に感謝をしていないということです。世話になったら何か役に立とうと考えないということです。自分のルーツが困難なときに一番先に逃げるやつら・・・金さえあれば今この瞬間だけは確かにうまくいくかもしれません。でも、きっと奴らは大事なことに気づかないまま死んでいくのでしょう・・・・・
100歳以上の長寿者が多い地域をブルーゾーンと言います。その中のひとつが沖縄本島北部やんばるエリアの大宜味村です。大宜味村は、令和の時代においてもとにかく田舎の村です。高齢者ばかりの村です。コンビニもファーストフードもしゃれたレストランもありません。あるのは昔ながらの食堂だけ。それも数件ほどです。大宜味村の食堂で、現地の人が何を食べているか観察すると、野菜炒め定食や豆腐定食などが多いように思います。注文されるのは、こってりした肉中心の食事メニュー・・・・・
健康オタクとして有名な徳川家康の食事は、麦飯と豆味噌でした。幼い頃から麦飯を主食にして育ち、生涯、その習慣を変えることはなかったそうです。「長命こそ勝ち残りの源である」と言いながら、本当に天下を完全に掌握し、江戸幕府260余年の基礎を築いた家康は、徹底した健康オタクだったようです。家康の麦飯は麦と胚芽の残った半搗き米を混ぜたもので、よく噛まなければならない食事であったため、この咀嚼が脳や胃腸の働きを活性化させて、活力の源になったようです。大豆100%の・・・・・
ロシアの文化「ダーチャ」をご存じでしょうか?そもそもダーチャが普及するようになったのはヒロシマ・ナガサキへの原爆投下がきっかけのようです。核の脅威にさらされた冷戦時代が始まり、政府は万が一、モスクワなどの都市部に原爆が落とされた場合を想定して、爆心地から100キロ以上離れたところに避難すれば安全だろうと判断しました。こうして1950年代、郊外への道路が建設され、急速に発展したものです。世界は、今様々な危機に直面しています。戦争が現実のもの・・・・・
私たちは、世界金融経済の支配から逃れることができずに、このまま奴隷のように一生を過ごさなければならないのでしょうか?そんなことはありません。世界金融経済の支配から逃れる方法はあります。それはお金が必要ない暮らし方を確立することです。もちろん、100%というわけにはいかないでしょう。それでも、なるべくお金がなくても生活できるように準備をしておけば、自分の人生を誰かに翻弄されることなく自由に生きられます。土地があれば、農作物を育てること・・・・・
食料危機が起きる状況は二通りあります。「金がなくて買えない時」か、「金はあるが物がなくて買えない時」です。ロシアのウクライナ侵攻で小麦価格が高騰していますが、これは、「金がなくて買えない時」に該当します。もしこのまま石油や肥料の高騰続いたり、輸入がストップしたりすれば、農家はますます米を生産することができなくなります。日本の稲作は今後どうなっていくのでしょうか?まず、米農家が米づくりを止めてしまう可能性もあります。ただでさえ、儲からなかった米づくり・・・・・
世界で最初に飢えるのは日本だという指摘があります。食料が自給できていないからです。これまで日本はアメリカが敷いたレールの上を歩んできました。常にアメリカに守られているという前提で政府の方針が決められています。つまり、日本は食料が自給できなくてもかまわないという方針です。「食料の高騰や食糧危機が起こったらどうするのか・・・?」疑問が残ります。政府に意見を言っても、そう簡単に変わらないのなら、自分の食いぶちはなるべく自分で清算するしかないです。飢えて死ぬよりはましです。・・・・・
現在の日本では牛乳は全て国産です。チーズ、脱脂粉乳などの乳製品は輸入されているものが多いので、牛乳・乳製品の品目別自給率は59%です。しかし今、コロナ禍による輸送費の値上がり、ロシアのウクライナ侵攻による穀物輸出の混乱、そして急激な円安の影響を受け、歴史的な飼料高騰がしています。これによって、酪農家は追い詰められています。今後は国産の牛乳がスーパーから姿を消す可能性もあります。江戸時代までは、そもそも日本には牛乳を飲む文化が存在しませんでした・・・・・
日本の畜産の現場では、ひどい虐待が行われていて、この部分の改善が日本は進まないのが実情です。このことは、日本の行政も知っていますが知らんぷりを決め込んでいます。日本には動物愛護管理法がありますが、業委の担当者も、「畜産業は口出しできないから」「中に入れないから」「管轄じゃないから」とか、色々な言い訳をして逃げています。畜産業者はこの法律を認知すらしていないことがほとんどで、畜産業に携わる人から、時折聞く言葉は、「あいつら痛みを感じてない」「蹴っても殴っても大丈夫だ」・・・・・
「アニマル・ライツ」とは、動物の権利のこと。すべての動物には、人間から搾取されたり苦痛を与えられたりせず、動物本来の性質に反することなく生きる権利がある」という考え方のことです。「動物が感じる痛み」に関する数々の話題は、動物たちの意識についても言及する時代になりました。人と動物の共生についてより深く考えるきっかけになりそうです。30年ほど前まで、動物の心は研究する価値のあるテーマとは見なされていませんでした。一部の動物に感性があることは数十年前から認められ・・・・・
昆虫は特殊な食材ではありません。古代より我々日本人は昆虫を食べてきました。農耕や稲作が盛んになる以前は、人類が原始時代から食べてきた貴重なタンパク源です。現在でも世界中で約20億人もの人達が昆虫を食べています。日本にも有名な「イナゴの佃煮」がありました。そして、再び昆虫を食べる時代が到来しています。最近では、無印良品がコオロギチョコやコオロギせんべいを販売しています。昆虫食の自動販売機もちらほら見られるようになりました。「昆虫食」は、タンパク質が豊富・・・・・
従来の動物福祉の議論や法律は、寿命の短さを理由に昆虫を除外してきました。しかし、多くの研究によって昆虫が痛みを感じるということが明らかになりつつあります。農薬は毎年何兆もの野生の昆虫の命を奪い、数日にわたってゆっくりと殺される場合もあります。世界では毎年1兆匹以上の昆虫が、食物や動物の餌として命を奪われています。研究者たちは、農薬が野生の昆虫にとって福祉上の大きな懸念事項であると述べています。国連がSDGsとして掲げる・・・・・
虫の音を愛でる感性はもともと欧米人にはありません。欧米人にとって鈴虫の鳴き声は聞こえないそうです。周波数を拾えないから聞こえないのだそうです。しかし、現代日本人にとっても、川の流れに人生を感じたり、サクラが散るのを見て哀れを感じたりする感性はもうあまりありません。情緒文化が衰退した日本では、物事を一方向からしか見ることができない大人が多いようです。物事の一側面しか理解できないから、すべてのものごとをいいか悪いかでしか判断しません。物事を正義と悪に分断し ・・・・・
差別が悪いと声を上げる連中の心にこそ差別意識が宿っているというものです。差別だ差別だと声を高々に訴えているのは、情緒を理解できない大人たちです。差別用語だと決めつけて言葉を使えなくする圧力は、日本文化を破壊する行為です。日本には、黒人差別なんかもともとなかったのに、これを禁止するのはアメリカへの同調圧力が関係しているのですか?物事の一側面だけを問題視して葬り去るような現代社会のやり方は、倫理を欠いた危険なやり方です。情緒をなきものにし、文化をないがしろにします。・・・・・
「差別」という言葉自体に善悪の意味は含まれていないことをご存じですか?「差別」を辞書でひくと、「差をつけて扱うこと。わけへだて。区別すること。」とあります。「区別」は、「それとこれとの間に認める違い。また、それをこれと違うものとして扱うこと。」とあります。結局は、「差別」も「区別」も同じ意味です。それらは、どちらも他との差を認めることにすぎません。レストランを評価するミシュランは差別ですか?見合いで家柄を見るのは差別ですか?世間の常識を心得た人ほど差別をしているもの・・・・・
「調和」とは謙虚に相手を尊重し受け入れる心のことです。支配しようとせずに共生の道を模索する心のことです。物事を多面的に見るように努力することです。カラーチャートのように色がハーモニーを奏でるようにすることです。「調和」の反対は、「支配」です。「支配」とは、自分と違うものを切り捨てること。自分の考えと違うものを切り捨てることに他なりません。「悪」だというレッテルを張って葬り去ろうとすること。相手を無理やり自分色に染めようとすること。地球儀をひとつの色で・・・・・
現代社会は「科学」という名のもとに、いくつかのバロメーターを基準にしてその平均分布をとります。そうすると、そこには必ず平均値が現れます。そこから外れたモノは、はみ出したモノになります。いくつかの判断基準で判断されるのが科学の常です。偏差値も英語力も運動能力もいくつかの基準ですべて数値で表されます。平均値からはみ出した人間は変わり者というレッテルが貼られます。そうする行為は平均値に収まる大多数の人には仲間意識が生まれます。仲間意識はの群集心理を助長させ、変わり者を・・・・・
ゴレンジャーは、5人がかりで怪獣をやっつけます。みんなで協力して一人の敵をやっつけます。戦隊ものは、すべて多数でひとりを攻撃する構図です。複数がひとりを寄ってたかって攻撃する構図はいじめを助長させるものです。「力を合わせれば敵を倒せる」とでも言いたいのでしょうが、子供が必ずしもそう理解するとも言い切れません。これが子供の心に刷り込まれるのです。ですから、学校からいじめが無くなりません。いじめが無くならないから自殺者が減りません。日本の10代の死因1位が自殺である・・・・・
幼稚園のお遊戯会ではみんなが小人をやりたくないだろうから女子全員を白雪姫にして、男性全員を王子様にするのが現代流です。違う話でもみんなが鬼をやりたくないだろうからという理由で全員を桃太郎にします。全く持ってバカげた話でしかありません。大人たちの思い込みが原因です。こうしたゆとり教育が社会不適合者を増やしています。こんなことを教育の現場で続けていたら、自己中心的なわがまま放題な人間だけを量産することにほかなりません。子供はそこまで馬鹿じゃありません。考えが足り・・・・・
防波堤をつくることはある意味正しいです。防波堤は自然の猛威を減らすという意味では有効な策です。しかし同時に、自然の景観を壊すという意味では問題が残ります。生態系を壊すという意味でも問題が残ります。しかし、それに対する弊害は受け入れなくてはならないものです。病院で処方された薬には必ず副作用があります。薬を服用することは、ひとつの目的を達成するには、同時に副作用を受け入れるということにすぎません。自然の猛威を押さえて人命を守るという理屈をカタチにした以上・・・・・
人間は理性に従って生きることで幸福になれるものだ。健康的に楽しく天寿を全うできれば幸福ではないか?という意見があるが、幸福とはそういうものではない。「自分さえ楽しければいい、自分さえ儲かればいい、自分さえ愛されればいい」というエゴイズムを満たすことを幸福だと誤解しているようだ。自分の満足のいくことのためだけに生きているのであれば、人間の幸福とは程遠い。それは、自分の満足を求めるエゴイストは、誰からも友情を注がれることもなく、誰からも愛情を注がれる・・・・・
人間の「人格」や「気質」を形作るものは一体何でしょうか。多くの人は、それを「持って生まれた遺伝」や「親の教育方針」、あるいは本人の「性格」といった単一の要素で片付けがちです。しかし、人間の精神というシステムは、それほど単純な二項対立や因果関係で説明できるものではありません。私たちの内側で起動しているOS(精神基盤)の正体は、何世代にもわたって受け継がれてきた「歴史的価値観の血脈(時間軸)」、日々踏みしめる「大地の地形や風土(空間軸)」、そして都市や地方の・・・・・
日常生活や職場のコミュニケーションにおいて、「良かれと思ってアドバイスしたのに、相手から『怒られた』『ハラスメントだ』と被害者のように受け取られた」という理不尽な経験を持つ人は少なくありません。この奇妙な断絶の正体は、個人の性格の不一致ではなく、日本経済が失速したプロセスで起きた「社会構造の完全な崩壊」にあります。かつての社会や企業には、強固な「ピラミッド構造」が存在していました。トップと最下層の間には必ず「中間(管理職や先輩)」がおり、彼らが・・・・・
現代の家庭教育において、「子供への愛情」の定義が深刻にバグ(誤認)を起こしています。特に経済的・時間的な余裕を奪われた現代の家庭(あるいは、その極致としての機能不全に陥ったひとり親家庭など)において顕著に見られるのが、「具合が悪いから仕方がない」「忙しかったから仕方がない」と言い訳を重ね、子供のあらゆる不作法や我が儘を全肯定してしまう「甘やかし」の日常です。母親(保護者)のセオリーにおける「甘やかし」は、一見すると深い受容と優しさに見えますが、その本質は・・・・・
日常の疑問から人生の決断まで、スマートフォンの向こう側にいるAIに尋ねれば、いつでも最適で、明快な「答え」が瞬時に返ってくる日常。私たちはそれを、効率的で知的な進化だと信じて疑いません。わからないことを何でもAIに聞く、それ自体は決して悪いことではないでしょう。しかし、この便利すぎる「答えの即時調達」が日常化させた世界の果てには、人間性そのものを根本から劣化させる、きわめて深刻な「認知のバグ」が潜んでいます。それは、多面的に物事を見たり、自分の頭でゼロから・・・・・
現代の若者や子供たちを取り巻く環境は、歴史上最も「安全で、傷つかない世界」へとアップデートされ続けています。学校でも職場でも、誰かが傷つく可能性のある「競争」や「序列」は排除され、理不尽な叱責や摩擦はハラスメントとして徹底的に駆逐されます。親や周囲の大人たちは、先述の「甘やかし」のセオリーに基づき、子供たちが挫折や不快感を味わう前にすべての障害物を先回りして取り除く、徹底的な「無菌室」の日常を作り上げました。一見すると、誰もが平穏に暮らせる優しい社会の完成・・・・・
現代人が抱えるコミュニケーションの不気味なすれ違い、その最たるものは「文字(テキスト)では驚くほど雄弁で優しいのに、いざ対面で生身の人間と向き合うと、一言も言葉が出なくなったり、極端に怯えたりする」という現象です。画面の中のSNSやチャットツールでは何千、何万人ものフォロワーと完璧にハイパー接続されているはずの若者たちが、リアルな日常の人間関係において、かつてないほどの深刻な「コミュ障(対人恐怖)」と孤立感に苦しんでいます。この奇妙な断絶の正体は、・・・・・
現代人のコミュニケーションは、極限まで「短文化・断片化」されています。スマートフォンを開けば、LINEやチャットツールによって、「りょ」「それな」「おこ」といった数文字の記号や、1枚のスタンプだけで意思疎通が完結する日常。いつでも、誰とでも、瞬時にテンポよく繋がれるこの手軽さを、私たちは効率的でスマートな進化だと信じて疑いません。しかし、この断片的なやり取りの日常がもたらす世界の果てには、人間の脳を深刻に退化させ、社会を支える「礼儀や道徳」を根底から破壊する不気味なバグが潜んでいます。・・・・・
何か一つのプロジェクトを立ち上げるとき、あるいは災害などの有事に立ち向かうとき、最も重要になるのがメンバー間の「意識合わせ」です。目的やゴールを一つにし、同じ思いを前提として共有する。この地道なプロセスの先にしか、集団としての本当の力や調和は生まれません。しかし、現代の日常生活や職場において、この「意識合わせ」が致命的なまでにできない人が増えています。空気が読めない、あるいは読もうとしない彼らは、常に「自分の殻」に閉じこもり、集団のベクトルから静かに逸脱していくのです。・・・・・
「人の嫌がることをしないこと」「嘘をつかないこと」「約束は守ること」私たちが子供の頃、家庭や地域で、あるいは親から身体に直接叩き込まれたこの3つの教え。これらは、何か高尚な宗教の教義でも、複雑な法律の条文でもありません。人間が人間として、他者と共に尊厳を持って生きていくための、最も原始的で、最も気高い道徳の原点です。頭では、誰もがこの3つが正しいと分かっています。現代のスマートな都市生活者たちに問いかければ、100人中100人が「その通りだ」と同意するでしょう。・・・・・
現代社会における「仕事観」は、著しく形骸化しています。歴史上の偉人たちが、時に『葉隠』に代表される武士道精神のように、自らの魂や信念をかけて職務を全うしたのに対し、現代の労働は単に「生活費や報酬を得るための手段」へと成り下がってしまいました。これと完全に呼応するように、人間の内面の成熟、すなわち「大人になること」の本質も失われています。年齢や肉体だけが成長し、内面は自分の損得や欲望しか考えられない「大人の皮を被った子供」が社会に蔓延しているのが・・・・・
現代社会において「貧しさ(貧困)」は、絶対的な悪であり、避けるべき敗北であると定義されています。しかし、ここでいう貧しさとは、単に「手元にあるお金が少ない」「欲しいモノが買えない」「贅沢な体験ができない」という、物質的・記号的な不足に過ぎません。経済至上主義に洗脳された現代人は、財布が空になることを恐れるあまり、自分の魂が空っぽになっていることに気づいていません。真の貧しさとは物質の多寡ではなく、「人生において命を燃やすべき理想を持たず、自己の保身と欲望の・・・・・