快楽と幸福について、アメリカの心理学者ミハイ・チクセントミハイが記しています。「お金で買えるのは『快楽』であり、それは単純に『肉体と精神の疲労回復』のためのものである。本当に『幸福』を手に入れようと考えるならば、自己を成長させる体験が必要である。・・・」
不幸な幼少時代を送った子供は、「快楽」を十分体験できなかったために、成人した後には、できるだけ多くの快楽を求めるようになります。自分を成長させようとすることに興味はなく、たくさんのお金でたくさんの快楽を手に入れようとします。貧乏だった若者が金持ちになりたい一心で一生懸命に働いて成功し、巨万の富を得たとします。しかし、いつしか、巨万の富を手に入れても自分が幸福でないことに気づき愕然とします。
美味しいものを食べたときに「ああ、幸せ。」と表現する輩がいます。こういう輩は、「快楽=幸せ」だと思い込んでいる輩であって、快楽のみを追い求める輩であって、金こそ全てと思い込んでいる証拠です。SNSで「いいね!」をもらうことばかりに躍起となっている輩も快楽を求めている証拠であって、人にチヤホヤされることばかり考えて化粧で顔を繕うことに必死になってばかりいる輩も快楽主義者に他なりません。
快楽を否定する禁欲主義を肯定するわけではありませんが、人間の動物的本能を持ち続けた上で、個人的な本能的欲求を超越して、客観的視点において自分自身がどうあるべきかについて自問自答しない限り、永久に幸福はわかないはずです。幸福には画一的な基準などありません。自分自身をまず理解するために自分の心が求めていることに、自ら気づくしか方法はありません。そうすることで、快楽と幸福のバランスがとれるようになるはずです。 |