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■PHILOSOPHY / 026:科学的であることの弊害

 
 
科学的であることの弊害
 

科学的であることの弊害

現代社会は「科学」という名のもとに、いくつかのバロメーターを基準にしてその平均分布をとります。そうすると、そこには必ず平均値が現れます。そこから外れたモノは、はみ出したモノになります。いくつかの判断基準で判断されるのが科学の常です。偏差値も英語力も運動能力もいくつかの基準ですべて数値で表されます。平均値からはみ出した人間は変わり者というレッテルが貼られます。そうする行為は平均値に収まる大多数の人には仲間意識が生まれます。仲間意識はの群集心理を助長させ、変わり者を白い目で見るようになります。エスカレートすると、人は寄ってたかって変わり者を攻撃するようになります。科学的な平均分布の手法は、現代社会のあらゆる場面で使われている手法です。この手法では、必ず平均的な分布と平均値の外に分布する変わり者が生まれます。

多数決の論理も同じことです。多いことがすなわち正義で、それ以外は切り捨てられます。「大多数の平均値が正しいことだ」という前提の上で現代社会の民主主義は成り立っています。平均値に収まらない人たちは、生きづらさを感じることになります。自殺者が減らない根本的な理由はここにあります。科学的なバロメーターを基準にするだけのドライな社会が当たり前の社会ではないはずです。もっと人間的で道徳的な規範を大事にする社会は、きっと今より温かい世の中のはずです。

現代社会には、科学的な実証主義ばかりが横行しています。確かに、科学的な実証主義は客観的で公平性があって理性的です。そんな説明ができれば誰もその理屈を否定することなどできないでしょう。ですから、他人を説得するという意味では素晴らしい弁証法です。人をコントロールするという意味では非常に好都合なスキルです。しかし、それがゆえに、それが現代社会における正しさの根本になっています。警察も検察も裁判もみんなそうです。証拠を立証できるか、法律を知っているか、それだけの違いです。実際は、どうか現実は法律が裁いているのでなく、法律に詳しい専門家がいいように理屈をこねまわしているだけのことです。偉そうにしている弁護士も検事もだいたい屁理屈達者な陰険野郎に過ぎません。

しかし、科学的な実証主義だけが正しさではありません。「検証できないなら科学的ではない、科学的でないから認められない」と切り捨ててしまうのは、単に「科学的な論理の組立てができない」というだけの問題であって、「検証ができないこと=間違っているということ」にはなりません。科学的実証主義こそがすべてであるなら、宇宙の法則もすべてをすでに説明できているはずです。私たちは、「科学的な実証主義こそが全てである」と信じ込まされている現代社会の一員であることに少し疑問を持つべきでしょう。

 
 
 
 

 

 
 
 
 
 
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