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■PHILOSOPHY / 006:希薄な人間関係が招くもの

 
 
希薄な人間関係が招くもの
 

□希薄な人間関係が招くもの

地域との関係性が希薄になり、生涯未婚率が増え、熟年離婚件数が上昇し、核家族化による世帯数が増加し、少子高齢化による単独世帯が増加し、インターネット、SNS、あらゆる情報の氾濫などによって、人間同士の直接的なかかわり方がさらに希薄なものになっています。こうした孤立や孤独化が自殺者の増加や精神疾患患者数の増加に大きく影響しているようです。人間同士のコミュニケーションが希薄になれば、相手の立場でモノを考える機会が減ります。自分都合でしかモノを見なくなることで、利己主義者の増加を加速させます。

狩猟生活をしていた頃にまで遡れば、利己主義者は淘汰されていたはずです。集団から弾かれることは死を意味しました。その時代にたったひとりで生きていくことはできなかったからです。自分が生き残りたいのであれば、他者を尊重して力を合わせることを感覚的に理解していたはずです。役割分担もありました。女性は集落で周囲と協力しながら生活していました。横のつながりを大事にして、家事や育児を助け合いながら協力してきました。男性は狩猟において上下関係の中で命がけで役割を果たしました。決して男女差別ではありません。それが逆でも一切構いません。要するに個性を認めて役割分担することです。役割を分担することは他者を認め合うことであり、それぞれの立場に敬意を払うことであり、違った立場からの意見を素直に聞き入れることでしょう。それらは誰かの意向とか方針とか制度だったのではなく、ひとりひとりが生きるために必然的に出来上がったしくみでしかなかったはずです。

現代では、「区別」を「差別」と表現します。「他を尊重しないで自分勝手にふるまうこと」を「個性」と表現します。「利己主義」を「個人主義」と表現します。大雑把に見れば、同じようですが、それらの意味は全く違ったものになります。「平等」は「対等」ではありません。これらは全く異なる概念です。「利己的であること」は「個性的である」こととは違います。ニュアンスの違いでだいぶ違ったものになることは明白です。本来は、そういった違いを人間関係の中で揉まれて理解をしていくはずなのですが、人間関係が希薄であることで、そうしたことに気づく機会も減っています。これらはすべてマインドコントロールの賜物であり、政治やメディアが戦争へと導いてきたプロパガンダの手法と何ら変わりがありません。途切れた人間関係は、何よりも学ぶ機会を奪います。ネットに逃げ込めば、それがどんなに偏屈な意見であっても、それを肯定してくれる人がいるものです。「じゃあ、これでいいのだ」「自分の周りがおかしいのだ」と安心してしまうことは、最も危険なことでしょう。

ネットの普及がもたらしたものは「情報の氾濫」でしかあり、かつ「価値観の氾濫」です。希薄な人間関係が余計にネット上の自己肯定感の追及へと人々を煽っています。現実社会で互いを認め合う風潮が無くなった分だけ余計にそうなるのでしょう。承認欲求は人間の本能ですが、現実は虚偽の情報操作がSNSをにぎわせています。これではもはやSNSは詐欺合戦です。この風潮は人間としての成長に歯止めをかけることにつながる重篤な状態だと思います。人が健康でかつ幸福でいられるためには、富や名声を得ることよりも、良い人間関係を築くことです。実際に、人とのつながりを多く持つ人ほど健康で長生きする傾向にあり、そのつながりは数ではなく、質が優先されます。


 
 
 
 

 

 
 
 
 
 
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