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自然共生社会

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■CULTURE / 文化
 
 
 

私たちは、今の時代の価値観の中で当たり前のように暮らしていますが、時代や風土、地域によって、現代の日本とは異なった価値観があって風習や常識を形作っていました。価値観はゆっくりと知らず知らずのうちに変化を続けて、いつの間にか私たちの習慣や常識も変わっていくものです。私たちが享受している近代文明が始まったのは明治時代以降のことです。人類の長い歴史の中で見れば、ほんの一瞬でしかなく、この急激な変化は世界にさまざまな異変を引き起こしています。持続可能な社会を模索し始めた私たちは、まず自分たちの常識を疑うことから始めてみることが必要なのかと思います。地球を持続可能な環境に戻していくためには、古代文明や少数部族、地球のへき地にある未開文明、先人たちの考え方などにヒントが隠されているのかもしれません。古き思想は、私たちにとっての非常識であるかもしれません。現代に取り入れて新しい価値観を創造することは、まさに温故知新。非常識と思えるようなことを実践することが次の時代をつくる最先端の方法なのかもしれません。

 
 
 

 
縄文に学ぶ
 
縄文時代は1万年以上も続いた平和な時代であったようです。ヒスイやサメの歯やイノシシの牙でペンダントを作り、漆で櫛を作り、土製のピアスを作ったりしていたようで、男性も女性もこうしたアクセサリーを身につけていたおしゃれな時代であったようです。縄文式土器はかなり高度な土器で、クリエイティブなセンスが伺えるものです。ドングリ・トチノミ・クリ・クルミなどの木の実をそのまま口にしていたわけでなく、木の実は粉末にしたものを練って、現在のクッキーやパンのように加工食品・・・・・
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◆縄文ライフ
 
縄文時代は、自給自足生活。海や川で魚を採り、木の実を拾い、やじりを作ったり、籠を編んだり。槍も弓矢も罠や落とし穴も作りました。家も道具も全部手作り。病気やケガ人を看病していた形跡もあります。現代のマッサージのルーツが縄文時代にあたることがわかっていますが、互いに慈しみながら暮らしていました。長老は存在しましたが、身分の差は緩いもので、貧富の差もなく、管理社会とは逆のスタンス。ヒスイやサメの歯やイノシシの牙きばでできたペンダントや・・・・・
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注目を浴びる縄文時代
 
ひそかに注目を浴びている縄文時代は、土器や土偶で有名ですが、土器や土偶に込められた縄文人の様々な記憶、日々の暮らしを重ねる中で生まれた喜びや悲しみなどの感情は、現代の私たちと少しも変わりがありません。縄文時代は、合理性や利便性ではなく、生きることや命をつなぐことに学ぶべきものがある時代として、特に20-30代の若者に指示されています。私たちは現代文明の行き詰まりの中で、個人的、社会的な様々な課題を抱えていますが、縄文文化には、縄文人の生き方を通じて・・・・・
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1万年も続いた縄文時代
 
私たちは、縄文人の生き方、その精神性に触れるとき、未来を照らす持続可能社会のための大切なヒントを見つけることができます。約1万年にわたって長く平和な時代が続いた秘訣はなんだったのでしょうか。西洋医学の歴史はたった100年です。飛行機が空を飛ぶようになってたった100年です。この100年で地球上の人類は便利なものを手に入れることができました。しかし、それと同時に何かを失ったということかもしれません。縄文時代の支え合いや助け合いの生き方は、私たちが忘れてしまった大切な何かなのかもしれません。東洋医学では「陰極まれば陽となり、陽極まれば陰・・・・・
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自然と共生した持続可能社会
 
縄文時代は、環境負荷がゼロの時代です。木の幹をくりぬいてつくった丸木舟を物資の運搬や移動に使いました。装身具として使われたヒスイ、コハク、黒曜石は、広範囲の縄文遺跡から見つかっていますが、それぞれの産地は限られていますが、一部に富が集中していた形跡がないことから、ビジネスではなかったと考えられています。縄文人たちは、手土産を持ってほかの集落を訪ね、これらは交易によって各地に運ばれたと考えられています。自然の恵みと、自然から学んだ縄文スピリットによって、平等で平和・・・・・
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知識の共有で集落を形成した
 
あらゆるものにカミが宿ると考えていた縄文人は、貝殻や魚の骨などの食べかすから、壊れた道具や灰、炭などまで、さまざまなものを送り場で感謝の気持ちとともにカミの元へ送り、再生を願ったようです。死者も地面に穴を掘った土坑墓やもの送り場に埋葬したようです。また、人と同じように丁寧に埋葬された犬の骨も見つかっており、犬を育て大切にしていたこともうかがえます。お互いに助け合う縄文時代の暮らしでは、狩猟の方法や道具などのつくり方、集落内の習慣、部族の歴史・・・・・
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上下関係や差別のない共同体
 
入江貝塚で見つかった20歳に近い人骨は、手足が異常に細いことから、なんらかの病気が原因で立って歩けなかったと考えられ、寝たきりの生活を送っていたのだろうと推測されています。そして、丁寧に埋葬されたということは、家族など周囲の人々が助けていたのだろうと推測できます。縄文集落は、祖先の霊を祀る墓地広場を中心に、竪穴建物が等間隔に並ぶ環状集落です。このことと、集落内に特別に区画された居住跡や施設跡がないこと、財産を副葬した大きな墓がない・・・・・
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◆自然と共生する日本文化
 
日本人の精神性とは、世界基準と比較するとどういったものなのでしょうか?日本人にとって、美しい・すばらしいと感じる価値や行動は、 各々の時代の社会的な背景により、変化してきています。日本人が昔から持っている感性(美意識)については、様々な文献があり、研究も多くなされて いますが、そのうち、特徴的なものとして、「義理がたさ」(他者への思いやり)、「伝 統・文化」(伝統的な文化や風習など)、「和」(調和と協調など)、「自然」(自然を愛でることなど)が特徴的・・・・・
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和の心
 

「和の心」は、世界の中で、日本人の美徳として受け入れられています。「和の心」とは、互いを信頼し、集団行動でのルールを守り、他人に迷惑をかけないことをモットーとする精神です。自己主張することよりも、他者を慮り、調和を図ることが日本人の美徳でした。しかし、戦後の日本は変わりました。和の心を無くしてしまった人は国際人とは言えません。「騙されるから人を信用しないで、自分の主義主張は相手を攻撃してでも押し通すことが常識だ。個人主義なのだから、もっと自分を表現して・・・・・

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自然と共生した日本文化
 
日本人は自然を生活に取り込むことで独自の文化を発展させてきました。ヨーロッパ中世都市の住居は石や煉瓦でできており、壁は古くなるとペンキで塗り替えられるます。日本のように木と土と紙の家は見かけません。崩れかかった古びた築地塀は存在しません。ベルサイユ宮殿の庭園は、宮殿の2階から見てこそ美しいが、日本庭園は上から見おろすように作られてはいません。噴水は西洋では富と権力の象徴とされていますが、水は上から下に流れるものなので、下から上へ吹き上げる感覚は日本庭園には・・・・・
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日本人ならたまには着物を
 
日本の伝統衣装は着物です。和服というのは西洋服に対する言葉ですね。洋服は、着る人の体型にぴったり合ったサイズで作られます。そのため、ウエストのサイズなどが合っていないと着用することができません。3次元の立体構造で出来ていますので、中に入る人を選んでいるということです。洋服は、似合う似合わないがあるように、実は、洋服が着る人を選んでいます。それに対して、着物は着る人を選びません。着物は2次元の平面な布ですから、その人なりのカタチにあちらが合わせてくれます。・・・・・
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士農工商は身分制度ではない
 
江戸時代の日本には「士農工商」という身分制度があったと学校で学びました。しかし、現在の教科書には「士農工商」という文言がありません。それはカースト制度のように確立された身分制度ではなかったということが明らかになったからです。それは職人や町人などの単なる職業分類のようなもので、武士の息子が小作人になったり、職人に弟子入りしたりしていた社会でした。下級武士が長屋に住んで傘職人になったり、町人が武士に金を貸したり、職人の息子が医者になったり、武士の称号を与えられた・・・・・
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街にゴミが落ちていない
 
17世紀から18世紀にかけてヨーロッパ諸国の貴族社会では、夜ごと着飾った伊達男と貴婦人たちの舞踏会が繰り広げられていました。西洋の都市では、一般の人たちは糞尿を部屋の窓から外へ投げ捨てるのが習慣となっていて、貴族たちも糞尿を「ポイ捨て」するのは当たり前でした。ヴェルサイユ宮殿での舞踏会はいつも鼻が曲がるような臭いの中、行われていたそうです。江戸の街はパリやロンドンを超える大都市でした。ゴミ問題は現在も大きな問題ですが、江戸の街はゴミが落ちていなかったといいます・・・・・
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話し合いで決める文化
 

日本の文化は、話し合いによって関係者の感情への配慮やコミュニティの調和を重んじてきました。オオクニヌシの時代から盛んにコミュニケーションが行われました。当事者同士の調和や関係を重視し、新たな創造やビジョンを実現していくことでした。江戸時代にも、村では三日三晩酒盛りをしながら、あーでもない、こーでもないと語り合った記録があります。みな平等に発言でき、反対する人がいなくなるまで、話し合いがずっと続きました。これは江戸時代から始まったものではなく、さかのぼって・・・・・

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ストレスという言葉がない
 
江戸時代までの社会には、「ストレス」という言葉がありませんでした。それは神様が与えた試練という言葉で受け止めてきました。試練があるから協力して協調して乗り越えていくこと。それで互いに感謝をしながら生きるという社会でした。現代はそれとは全く違った考え方になりました。ストレスの原因が○○だから、相手を責めて賠償しろ!というスタイルです。調和も協調もなく、屁理屈で相手を打ち負かすことがいいこと。勝てば○ですが、撒ければ×です。そりゃ自殺者も増えることででしょう。・・・・・
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世界が認める武士道精神
 
刀という鋭利な武器を腰に帯び、高い身分をもった階級が、ただの「力と権力だけのらんぼう者」にならなかったのは、道徳観念があったからでした。武士道とは「死ぬ覚悟をもって生きろ。」ということ。「生きる質を高めよ。」ということ。ジョブスの「今日が人生最後の日だとしたら・・・」ガンジーの「明日死ぬかのように生きよ。」これらも武士道です。武士道とは、「瞬間にすべてをかけて一心不乱に生きる。」ということ。道とは、己を律して、己の足りないところに気づき、自ら学ぶということ。・・・・・
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◆ペリー来航と西洋文化
 
明治維新はペリー来航から始まりました。鎖国をしていた日本は、外圧によって開国が迫られ、明治44年に不平等条約が締結されました。日本は、徳川幕藩体制が終わり、社会は様変わりしました。明治維新がもたらした文明は蒸気機関車など豊かな文明でした。しかし、同時に1000年遅れた低レベルの文化を押し付けられる結果となりました。文明と文化は異なる概念です。日本が押し付けられた文化。それは、法律違反しなければ何をしても構わないという民度の低い考え方です。西洋文明は基本的に・・・・・
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◆西洋による日本支配
薩長が戊辰戦争を起こし江戸幕府を倒しました。どちらも尊王論でどちらも開国論だった両者が戦った戊辰戦争。本当の目的は何だったのでしょうか。アメリカは、当時金銀の両替比率が違っていたことを利用して、日本のあった金を奪うことに成功しました。日本国内の金は4分の一になりました。徳川幕府は大政奉還し、朝廷は新しい日本の国づくりを行いました。都市伝説では、明治天皇のすり替え説が有力ですが、近代国家という名のもとに新たな明治政府が作られました。西洋による日本支配の始まり。・・・・・
 
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◆支配と隷属による支配構造
 
江戸時代までの日本では、上下関係なく皆が自由に意見を交換し、皆で決めて皆で行動するという考え方によって社会は成り立っていました。それぞれが自分のできることで皆の役に立つ。できないことは他にお願いし、他を尊重して御恩返しをするという人間関係の中で豊かな社会が続いていました。しかし、開国を迫られ、社会は西洋型支配構造を押し付けられました。西洋型支配構造は、支配と隷属による構造。支配する者と支配される者に分断されるピラミッド型社会。これによって、抑圧されて抵抗する・・・・・
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◆ヒッピー文化
 
「ヒッピー」をご存じでしょうか?1960年代、アメリカ合衆国では、青年層を中心にして既成の社会体制と価値観からの離脱を目ざす対抗文化countercultureの運動が生じました。この運動とそれを担った人々をヒッピーといいます。自由と愛という人間的な価値を尊重するヒッピーたちは、自分自身のために生きるため、原始的共同生活を営みました。ヒッピー運動は、イデオロギーに基づく社会変革よりも、個人の意識変革を目ざす文化運動であったようです。1960年代後半には、人種問題、ベトナム反戦・・・・・
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自然と自由を求めて
 
最も有名なのは、「ラブ&ピース」というテーマかもしれません。当時は、ベトナム戦争真っ只中の時代ですから、彼らは反戦デモや徴兵拒否といった活動も行いました。官僚、大企業、出世競争に嫌気がさした若者たちは、カトリックやプロテスタントなどの主流宗教を拒絶し、よりスピリチュアルな仏教、ヒンドゥー教、瞑想などを求めたようです。共同体「コミューン」を形成して、共同生活を通して、まずは自分たちの身のまわりから世界を変えようと行動した人々がヒッピーでした。個人の手に・・・・・
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ヒッピーコミューン
 
1970年代後半以降はヒッピームーブメントがだんだんと縮小していきました。ベトナム戦争において、アメリカの敗北が明白になり、多くの若者が命を落としたからです。ベトナムに焦点を当てた反戦運動も行われなくなり、徐々に姿を消していきました。さらに1970年代のアメリカの経済状況の悪化は、生活基盤が脆弱だったヒッピーにとっては深刻な問題であったようで、生活のためにコミューンを出て既存社会のなかで仕事をしながら、仕事を選ぶことで理念を持ち続ける人もいました・・・・・
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◆思想家ソロー
 
アメリカの代表的古典の一つとして知られる『ウォールデン―森の生活:ソロー著』という書物には、自然と人間とのかかわり方が記されています。ソローは、アメリカを代表する思想家であり、詩人であり、ナチュラリストで、数々の名言も残しています。「簡素な生活、高き想い」の実践者ソローが、1845年、29歳の時に、ウォールデン池のほとりにある森の中に、小屋を自分の手で建てて、自給自足を実践し、独りで暮らした二年と二カ月間の生活が綴られています。書物の内容は・・・・・
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◆アイヌ民族
 
アイヌ民族は、日本列島北部周辺、特に北海道で暮らしてきた先住民族です。厳しい北の大地の自然環境の中で、自然界すべてのものに感謝し無理をせず無駄をせず自然の恵みを活用してきたアイヌ文化。そこには現代の私たちが抱える問題を解決するヒントや、学ぶべき自然と共生する暮らし方が残されていました。日本列島で1万年続いた縄文文化の後、本州では稲作を中心とする弥生文化が九州から北上しましたが、津軽海峡を越えることはなく、そういった背景から、アイヌ民族は・・・・・
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◆アイヌ精神
 
人間の力が及ばない自然現象や飢饉、悪となる病気もカムイであり、この世界は人間とカムイがお互いに関わりあい、影響しあって成立しているものと信じてきました。カムイは喜怒哀楽の感情を持ち、カムイの世界では人間と同じような姿で、同じように暮らしていると考えられていました。カムイたちが人間の世界へ何らかの役割を担うとき、または遊びに行きたいと思ったときは、その姿を動植物の姿や道具、自然現象などに変えて現れると考えていました。人間の世界での役目を終えたカムイ・・・・・
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◆マオリ族
 
1000年先の未来を見通して、本来の暮らしを取り戻し、ここに仕事を生み、部族として自立することを目指しているようです。「西洋人たちは、利益を得るために大地を使う。でもマオリは、大地をケアしたその先に利益が生まれると考えている。私たちのやり方は、昔は原始的で野蛮なものだと馬鹿にされていたけど、でも今は、やつらがそのやり方を教えてくれとやってくる。生態系を壊さず、世代を超えて自然をケアしながら生きることがマオリのやり方だ。本来こうあるべきなのだ。」と・・・・・
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◆ネイティブアメリカン
 
ネイティブ・アメリカンは、自然と調和し、大地と共に生きてきた代表格です。彼らの精神性や教訓は現在にも脈々と受け継がれています。西欧の人々がアメリカ大陸に到達する前には、およそ120万人から1200万人のアメリカ先住民(ネイティブ・アメリカン)が、広大な大陸に住んでいたと推定されています。それまで、彼らは母なる地球とつながり、自然と調和して、静かに暮らしてきました。しかし、彼らの多くは後から侵入してきた西欧人からの虐殺や、同時に伝えられた感染症に・・・・・
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◆アマゾン先住民
 
アマゾンの熱帯雨林は、地球上で最大規模の熱帯雨林。今知られている地球全体の生態系の10%以上はアマゾンにあります。動植物の多様性もさることながら、この地に住む人々もアマゾンの魅力の一つ。現在もアマゾンの熱帯雨林には、400を超える部族には100万人が暮らしています。1500年当時の先住民族の人口は800万人もいたといわれています。中には人里離れた場所に住んでいるため、旅行者に住居地区を開放していない部族も。しかし、その他多くの部族はサステナブル・・・・・
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◆未接触部族
 
これだけ文明が発達した現代ですが、今も世界のあちらこちらに孤立部族が存在することをご存じでしょうか。 現代文明に頼ることなく、隔離された環境で暮らす孤立部族の生活は、今の私たちには信じがたいことかもしれません。外界との接触を回避、もしくは拒否している人たちです。アマゾンの熱帯雨林やインドネシアの島々など、地球上で最も人里離れた場所に住んでいます。ニューギニアの密林地帯にある高地に住んでいる部族もいます。インドネシアの西パプア州には・・・・・
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◆野生の思考
 

「野生の思考」は、非合理などではなく、科学的な思考よりも根源にある人類に普遍的な思考であり、近代科学のほうがむしろ特殊なものだと彼は考えました。「野生の思考」は、フランスの民族学者レヴィ=ストロースが1962年に出版した書籍によって強く訴えたベストセラーです。動物には「野生動物」と「家畜動物」がいます。動物の感覚を私たちが想像する限り、彼らの幸せを実感する豊かな心は、きっと「野生動物」が「家畜動物」に勝ると考えることができるでしょう。・・・・・

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