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■CULTURE / 106:縄文ライフ

 
 
縄文ライフ
 

縄文時代は、自給自足生活。海や川で魚を採り、木の実を拾い、やじりを作ったり、籠を編んだり。槍も弓矢も罠や落とし穴も作りました。家も道具も全部手作り。病気やケガ人を看病していた形跡もあります。現代のマッサージのルーツが縄文時代にあたることがわかっていますが、互いに慈しみながら暮らしていました。長老は存在しましたが、身分の差は緩いもので、貧富の差もなく、管理社会とは逆のスタンス。ヒスイやサメの歯やイノシシの牙きばでできたペンダントやシカ角で作ったカンザシ、土製どせいの大きなピアスもしていたようです。髪型もお団子にしたり編み込んだりドレッドのような髪型の人もいたようです。縄文土器はかなり繊細な芸術作品のように作られていますし、クリエイティブでアーティスティックなセンスを持っていました。温かい季節にはキャンプやブッシュクラフトのような暮らしだったようです。竪穴式住居は、半地下を掘って、木の骨組みを樹皮で覆って土をかぶせたスタイルですが、10畳くらいの住居に5-6人が暮らしていて、この竪穴式住居が3-5棟まとまって建っていたようです。同居人は家族とは限かぎらず、家族以外の人が同居したり、若者だけで住んだり、今でいうシェアハウスのような暮らしだったと考えられています。竪穴式住居の難点は湿気がこもりやすいことですが、家の中にある「炉」で火を焚くことで湿気をとばし、冬でも半袖1枚で過せるほど温かくなります。森では、ドングリ・トチノミ・クリ・クルミなどの木の実、イノシシ・シカの肉を食べたり、海ではマグロ・タイ・スズキ・イワシ、川ならフナ・コイなど、意外とカロリーの高いものを食べていました。木の実を粉末にして、現在のクッキーやパンに似た加工食品まで作っていたようです。貝塚はゴミ箱ではなく、自然に還す場所であったようで、貝殻だけでなく、アクセサリーや人骨も見つかっています。土偶も有名ですが、身代わりの意味やケガの治癒を祈るため、に作られたと考えられています。土偶は、バラバラに壊れた状態で見つかることが多く、壊すために作っていたと考えられていますが、詳しいことはわかっていません。この時代にはシャーマンが存在していて、成人や結婚の儀式として、シャーマンが歯を抜いていたようです。食べ物は自然からいただくもの。必要な分だけをとるスタイルで「足るを知る」が実践されていて、自然共生が実践されていました。縄文時代の次には弥生時代が訪れます。縄文時代から弥生時代に変わるのは、農耕が始まったことによる大きな変化です。縄文時代と弥生時代との大きな違いは「狩猟」と「稲作」という生活スタイルの違いです。この生活スタイルの違いが、「所有」という概念を生み出すことになります。農耕をするために人々が定住するようになると、「自分の家」「自分の作物」「自分の畑」などの「所有物」という概念が生まれます。これによって、人々は争うようになり、弥生時代には、常に争いが絶えなかったことが、遺跡から判明しています。稲作は1人では行えないために集団で生活する意識が強くなり、「ムラ」「クニ」などの集落が誕生します。トップが登場し、権力者や兵士もこの時に生まれました。貧富の差も生まれました。こうして身分の違いがみられるようになります。自分の財産を増やして豊かになるために人々は働き、経済は発展していきますが、争いも増えて、人間関係にひずみも生まれてきます。弥生時代は数百年で終わりをつげますが、1万年以上も続いた縄文時代とは比較にならないくらい短いものです。人口が100万人くらいと考えられている縄文時代と、1億人以上いる現代を比較することはできませんが、この平和な暮らし方が長く続いたということは、ここに何か現代人のサスティナブルな暮らし方についてのヒントがあるかもしれません。縄文時代には、人間が自然をコントロールしようとは考えませんでした。人間も自然の一部だと考えていたからでしょう。自然と対立するのではなく、自然と共生することが人間が生きる道でした。人間が自然を支配しようと考えた時、所有しようと考えた時、人間同士が争いを生み出し、全ての終わりを招いてしまうのかもしれません。

 
 
 
 

 

 
 
 
 
 
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