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■CULTURE / 200:自然と共生する日本文化

 
 
自然と共生する日本文化
 
日本文化の起源は、縄文時代までさかのぼり、当時の日本人の祖先は自然のなかで暮らし、自然には決して逆らわないように生きてきました。日本では、四季があって常に季節は変化し、梅雨があり、風が吹き、猛暑があり、雪が降ります。時に地震が起き、川が氾濫します。多彩に変化する自然と共生してきた国では、八百万の神々が崇拝され、私たち人間がちっぽけな存在であると認識の中で文化を形成してきました。死は特別なものでなく、生きるものの宿命として受け入れられ、自然の力は人間よりも遥かに高いものという考え方で、日本文化は受け継がれてきました。一方、気候が一定で自然の驚異にそれほど晒されてこなかった西洋文化では、人間の力は強大で、すべてを支配するべき特別な存在として認識されています。西洋における死は日本とは異なる概念です。人間の魂は永遠であるべきで、永遠の肉体を求める考え方は、生まれ変わりを切望するのが西洋文化です。その思想はミイラや巨大石造墓地などに表れています。自然は敵でそれに翻弄されない頑丈な人工物を作ることが正義で、技術を革新して、戦いに勝つことが正義です。他の民族を次々と制圧し、力を増大させて、自然をも地球をも支配しようという考え方です。自由に対する考え方も、西洋と日本とは異なります。西洋の自由を勝ち取る運動は、誰かの束縛から逃れることや解放されることを目的としたものばかりです。日本における自由には政治的意義はありません。松は竹にあらず、竹は松にあらずに、松は松として、竹は竹として、山は山として、河は河として、その拘束なきところを、自分が主人となって、働くこと、これが自由である。これを必然性といい、天上天下唯我独尊といい、その物自体、すなわちその本性なるものから観ると、その自由性で自主的にそうなるので、何も他から牽制を受けることはないということです。自然と向き合ってきた文化とほかの人間たちに向き合ってきた文化は大きく異なる文化を形成しています。日本人からすると、西洋文化は、人間の力を過信し、力を鼓舞して戦って支配する制圧文化のよう思えてしまいます。日本文化は自然と共生する文化です。対立するのではなく、共生する心を尊び、受け入れて活かし、共存する方法を模索し、調和することで育まれてきたのが日本文化です。支配や制圧ではなく共生する心が日本文化です。今、自然が制圧されて地球が悲鳴を上げています。世界中が困惑し、始めて共生する道を探し出しました。今こそ日本がその心を世界に向けて発信するときです。

日本人の精神性とは、世界基準と比較するとどういったものなのでしょうか?日本人にとって、美しい・すばらしいと感じる価値や行動は、 各々の時代の社会的な背景により、変化してきています。日本人が昔から持っている感性(美意識)については、様々な文献があり、研究も多くなされて いますが、そのうち、特徴的なものとして、「義理がたさ」(他者への思いやり)、「伝 統・文化」(伝統的な文化や風習など)、「和」(調和と協調など)、「自然」(自然を愛でることなど)が特徴的であると言えるでしょう。

日本は、大東亜戦争の末に敗戦国となったわけですが、終戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の管理下に置かれたのは皆様が良く知ることと思います。GHQがやったことは、まず天皇の立場を変更し、経済力をそぎ落とすために、財閥を解体し、日本国憲法を時の内閣に押し付け、民族の誇りとなるような文献を燃やし、教育をゆがめ、日本人としての誇りを感じさせるようなものを排除しました。民主主義だけが素晴らしいものであるという画一的風潮を浸透させ、浮かれた個人主義の素晴らしさだけを説きました。それは、GHQがあまりにも日本という国を恐れたからです。二度と立ち上がれないように徹底的に手足を奪わなければ怖かったからです。日本人の精神性は、欧米列国からすると、脅威でしかありませんでした。気高い精神性を兼ね備えた日本人を骨抜きにしたいと考えてやったことです。それほどまでに世界的にも素晴らしい感性を私たちは忘れてしまっていいのでしょうか?

 
 
 
 

 

 
 
 
 
 
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