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■PHYLOSOPHY / 理念:縄文に学ぶ
 
 
 

縄文時代という時代があったことは学校で習いました。毛皮を着て、髪は伸ばしっぱなしで、竪穴式住居に住んで、どんぐりを採取したり、動物を仕留めて食らうような原始的な狩猟生活の時代だと習いました。縄文式土器なるものが作られ、厚手で低温で焼かれた土器で、表面に縄目のような文様がつけられているのが特徴野土岐でした。海岸や水辺には、食べ物の残りかすなどを捨てた貝塚が見つかっています。その後、弥生時代になって、大陸から稲作が入ってきて、定住するようになり、秩序が生まれ、発展していったと習いました。

しかし、最近の研究で、どうもいろいろ誤りがあることがわかってきました。縄文時代の人骨を調べると、多少の違いはあっても、日本列島にはだいたい同じような形質の人々が住んでいたのだということがわかります。ところが弥生時代に入ると、出土する人骨が変わります。縄文人と似た形質を持つ「縄文人の子孫」もいれば、同時代の朝鮮半島や大陸の人々によく似た人々も、そのミックスのような人々もいます。これは、この時代に一定数の人が列島へやってきたということです。当時の大陸は「春秋戦国時代」ですから、戦火を逃れてきた大量の難民が、平和な島を目指したのかもしれません。弥生時代には、貧富の差が生まれ、土地争いや田んぼに引く水の奪うばい合いが生まれたと考えられます。この時代になると、こん棒ぼうでなぐられた人や、額ひたいにやじりが刺ささって殺ころされた人の骨が見つかっており、弥生時代が殺伐とした争いの時代であったことがわかります。

縄文時代は1万年以上も続いた平和な時代であったようです。ヒスイやサメの歯やイノシシの牙でペンダントを作り、漆で櫛を作り、土製のピアスを作ったりしていたようで、男性も女性もこうしたアクセサリーを身につけていたおしゃれな時代であったようです。縄文式土器はかなり高度な土器で、クリエイティブなセンスが伺えるものです。ドングリ・トチノミ・クリ・クルミなどの木の実をそのまま口にしていたわけでなく、木の実は粉末にしたものを練って、現在のクッキーやパンのように加工食品にしていたようです。貝塚は、現代のごみ箱ではなく、「自然に還す場所」という感覚で、精神的にも自然と共にに生き、自然の中で生かされているという感覚を重んじていたようです。見つかった土偶のほとんどは壊れているが、これは時間がたって壊れたのではなく、わざわざ壊すために作られたものと考えられるようになって、何らかの祈願や祈りなどのスピリチュアルな意味合いであったようです。自然災害が自分たちの生活を脅かすものであるため、自然に対しての畏怖の念を持ち、シャーマンもいて呪術やまじないによって集団生活が営まれていたようです。食べ物は自然からいただくもので、必要な分だけ分けていただくという「足るを知る」が実践されていたようです。

弥生時代に入ると、服装は質素になり、質素な弥生式土器が作られるようになりますが、これは、争いが多発し、不安定な時代に突入したことが伺い知れます。あちらこちらに小さな国ができ、人々を支配する王や豪族が現れ、支配の歴史が始まります。支配するものと支配されるものに分断され、その支配構造は今もなお続いています。

 

 
 
 
 

 
◆注目を浴びる縄文時代
 
ひそかに注目を浴びている縄文時代は、土器や土偶で有名ですが、土器や土偶に込められた縄文人の様々な記憶、日々の暮らしを重ねる中で生まれた喜びや悲しみなどの感情は、現代の私たちと少しも変わりがありません。縄文時代は、合理性や利便性ではなく、生きることや命をつなぐことに学ぶべきものがある時代として、特に20-30代の若者に指示されています。私たちは現代文明の行き詰まりの中で、個人的、社会的な様々な課題を抱えていますが、縄文文化には、縄文人の生き方を通じて、現代社会・・・・・
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1万年も続いた縄文時代
 
私たちは、縄文人の生き方、その精神性に触れるとき、未来を照らす持続可能社会のための大切なヒントを見つけることができます。約1万年にわたって長く平和な時代が続いた秘訣はなんだったのでしょうか。西洋医学の歴史はたった100年です。飛行機が空を飛ぶようになってたった100年です。この100年で地球上の人類は便利なものを手に入れることができました。しかし、それと同時に何かを失ったということかもしれません。縄文時代の支え合いや助け合いの生き方は、私たちが忘れてしまった大切・・・・・
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自然と共生した持続可能社会
 
縄文時代は、環境負荷がゼロの時代です。木の幹をくりぬいてつくった丸木舟を物資の運搬や移動に使いました。装身具として使われたヒスイ、コハク、黒曜石は、広範囲の縄文遺跡から見つかっていますが、それぞれの産地は限られていますが、一部に富が集中していた形跡がないことから、ビジネスではなかったと考えられています。縄文人たちは、手土産を持ってほかの集落を訪ね、これらは交易によって各地に運ばれたと考えられています。自然の恵みと、自然から学んだ縄文スピリットによって、平等で平和・・・・・
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◆知識の共有で集落を形成した
 
あらゆるものにカミが宿ると考えていた縄文人は、貝殻や魚の骨などの食べかすから、壊れた道具や灰、炭などまで、さまざまなものを送り場で感謝の気持ちとともにカミの元へ送り、再生を願ったようです。死者も地面に穴を掘った土坑墓やもの送り場に埋葬したようです。また、人と同じように丁寧に埋葬された犬の骨も見つかっており、犬を育て大切にしていたこともうかがえます。お互いに助け合う縄文時代の暮らしでは、狩猟の方法や道具などのつくり方、集落内の習慣、部族の歴史などについての知識・・・・・
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◆上下関係や差別のない共同体
 
入江貝塚で見つかった20歳に近い人骨は、手足が異常に細いことから、なんらかの病気が原因で立って歩けなかったと考えられ、寝たきりの生活を送っていたのだろうと推測されています。そして、丁寧に埋葬されたということは、家族など周囲の人々が助けていたのだろうと推測できます。縄文集落は、祖先の霊を祀る墓地広場を中心に、竪穴建物が等間隔に並ぶ環状集落です。このことと、集落内に特別に区画された居住跡や施設跡がないこと、財産を副葬した大きな墓がないことなどから、縄文時代の・・・・・
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