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■PHYLOSOPHY / 理念:日本の精神性とは
 
 
 

日本人の精神性とは、世界基準と比較するとどういったものなのでしょうか?日本人にとって、美しい・すばらしいと感じる価値や行動は、 各々の時代の社会的な背景により、変化してきています。日本人が昔から持っている感性(美意識)については、様々な文献があり、研究も多くなされて いますが、そのうち、特徴的なものとして、「義理がたさ」(他者への思いやり)、「伝 統・文化」(伝統的な文化や風習など)、「和」(調和と協調など)、「自然」(自然を愛でることなど)が特徴的であると言えるでしょう。

日本は、大東亜戦争の末に敗戦国となったわけですが、終戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の管理下に置かれたのは皆様が良く知ることと思います。GHQがやったことは、まず天皇の立場を変更し、経済力をそぎ落とすために、財閥を解体し、日本国憲法を時の内閣に押し付け、民族の誇りとなるような文献を燃やし、教育をゆがめ、日本人としての誇りを感じさせるようなものを排除しました。民主主義だけが素晴らしいものであるという画一的風潮を浸透させ、浮かれた個人主義の素晴らしさだけを説きました。それは、GHQがあまりにも日本という国を恐れたからです。二度と立ち上がれないように徹底的に手足を奪わなければ怖かったからです。日本人の精神性は、欧米列国からすると、脅威でしかありませんでした。気高い精神性を兼ね備えた日本人を骨抜きにしたいと考えてやったことです。それほどまでに世界的にも素晴らしい感性を私たちは忘れてしまっていいのでしょうか?

 
 

 
和の心
 

「和の心」は、世界の中で、日本人の美徳として受け入れられています。「和の心」とは、互いを信頼し、集団行動でのルールを守り、他人に迷惑をかけないことをモットーとする精神です。自己主張することよりも、他者を慮り、調和を図ることが日本人の美徳でした。しかし、戦後の日本は変わりました。和の心を無くしてしまった人は国際人とは言えません。「騙されるから人を信用しないで、自分の主義主張は相手を攻撃してでも押し通すことが常識だ。個人主義なのだから、もっと自分を表現して・・・・・

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自然と共生した日本文化
 
日本人は自然を生活に取り込むことで独自の文化を発展させてきました。ヨーロッパ中世都市の住居は石や煉瓦でできており、壁は古くなるとペンキで塗り替えられるます。日本のように木と土と紙の家は見かけません。崩れかかった古びた築地塀は存在しません。ベルサイユ宮殿の庭園は、宮殿の2階から見てこそ美しいが、日本庭園は上から見おろすように作られてはいません。噴水は西洋では富と権力の象徴とされていますが、水は上から下に流れるものなので、下から上へ吹き上げる感覚は日本庭園には・・・・・
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日本人ならたまには着物を
 
日本の伝統衣装は着物です。和服というのは西洋服に対する言葉ですね。洋服は、着る人の体型にぴったり合ったサイズで作られます。そのため、ウエストのサイズなどが合っていないと着用することができません。3次元の立体構造で出来ていますので、中に入る人を選んでいるということです。洋服は、似合う似合わないがあるように、実は、洋服が着る人を選んでいます。それに対して、着物は着る人を選びません。着物は2次元の平面な布ですから、その人なりのカタチにあちらが合わせてくれます。・・・・・
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士農工商は身分制度ではない
 
江戸時代の日本には「士農工商」という身分制度があったと学校で学びました。しかし、現在の教科書には「士農工商」という文言がありません。それはカースト制度のように確立された身分制度ではなかったということが明らかになったからです。それは職人や町人などの単なる職業分類のようなもので、武士の息子が小作人になったり、職人に弟子入りしたりしていた社会でした。下級武士が長屋に住んで傘職人になったり、町人が武士に金を貸したり、職人の息子が医者になったり、武士の称号を与えられた・・・・・
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街にゴミが落ちていない
 
17世紀から18世紀にかけてヨーロッパ諸国の貴族社会では、夜ごと着飾った伊達男と貴婦人たちの舞踏会が繰り広げられていました。西洋の都市では、一般の人たちは糞尿を部屋の窓から外へ投げ捨てるのが習慣となっていて、貴族たちも糞尿を「ポイ捨て」するのは当たり前でした。ヴェルサイユ宮殿での舞踏会はいつも鼻が曲がるような臭いの中、行われていたそうです。江戸の街はパリやロンドンを超える大都市でした。ゴミ問題は現在も大きな問題ですが、江戸の街はゴミが落ちていなかったといいます・・・・・
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話し合いで決める文化
 

日本の文化は、話し合いによって関係者の感情への配慮やコミュニティの調和を重んじてきました。オオクニヌシの時代から盛んにコミュニケーションが行われました。当事者同士の調和や関係を重視し、新たな創造やビジョンを実現していくことでした。江戸時代にも、村では三日三晩酒盛りをしながら、あーでもない、こーでもないと語り合った記録があります。みな平等に発言でき、反対する人がいなくなるまで、話し合いがずっと続きました。これは江戸時代から始まったものではなく、さかのぼって・・・・・

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ストレスという言葉がない
 
江戸時代までの社会には、「ストレス」という言葉がありませんでした。それは神様が与えた試練という言葉で受け止めてきました。試練があるから協力して協調して乗り越えていくこと。それで互いに感謝をしながら生きるという社会でした。現代はそれとは全く違った考え方になりました。ストレスの原因が○○だから、相手を責めて賠償しろ!というスタイルです。調和も協調もなく、屁理屈で相手を打ち負かすことがいいこと。勝てば○ですが、撒ければ×です。そりゃ自殺者も増えることででしょう。・・・・・
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世界が認める武士道精神
 
刀という鋭利な武器を腰に帯び、高い身分をもった階級が、ただの「力と権力だけのらんぼう者」にならなかったのは、道徳観念があったからでした。武士道とは「死ぬ覚悟をもって生きろ。」ということ。「生きる質を高めよ。」ということ。ジョブスの「今日が人生最後の日だとしたら・・・」ガンジーの「明日死ぬかのように生きよ。」これらも武士道です。武士道とは、「瞬間にすべてをかけて一心不乱に生きる。」ということ。道とは、己を律して、己の足りないところに気づき、自ら学ぶということ。・・・・・
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◆ペリー来航と西洋文化
 
明治維新はペリー来航から始まりました。鎖国をしていた日本は、外圧によって開国が迫られ、明治44年に不平等条約が締結されました。日本は、徳川幕藩体制が終わり、社会は様変わりしました。明治維新がもたらした文明は蒸気機関車など豊かな文明でした。しかし、同時に1000年遅れた低レベルの文化を押し付けられる結果となりました。文明と文化は異なる概念です。日本が押し付けられた文化。それは、法律違反しなければ何をしても構わないという民度の低い考え方です。西洋文明は基本的に・・・・・
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◆西洋による日本支配
薩長が戊辰戦争を起こし江戸幕府を倒しました。どちらも尊王論でどちらも開国論だった両者が戦った戊辰戦争。本当の目的は何だったのでしょうか。アメリカは、当時金銀の両替比率が違っていたことを利用して、日本のあった金を奪うことに成功しました。日本国内の金は4分の一になりました。徳川幕府は大政奉還し、朝廷は新しい日本の国づくりを行いました。都市伝説では、明治天皇のすり替え説が有力ですが、近代国家という名のもとに新たな明治政府が作られました。西洋による日本支配の始まり。・・・・・
 
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◆支配と隷属による支配構造
 
江戸時代までの日本では、上下関係なく皆が自由に意見を交換し、皆で決めて皆で行動するという考え方によって社会は成り立っていました。それぞれが自分のできることで皆の役に立つ。できないことは他にお願いし、他を尊重して御恩返しをするという人間関係の中で豊かな社会が続いていました。しかし、開国を迫られ、社会は西洋型支配構造を押し付けられました。西洋型支配構造は、支配と隷属による構造。支配する者と支配される者に分断されるピラミッド型社会。これによって、抑圧されて抵抗する・・・・・
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