日本人の精神性とは、世界基準と比較するとどういったものなのでしょうか?日本人にとって、美しい・すばらしいと感じる価値や行動は、 各々の時代の社会的な背景により、変化してきています。日本人が昔から持っている感性(美意識)については、様々な文献があり、研究も多くなされて いますが、そのうち、特徴的なものとして、「義理がたさ」(他者への思いやり)、「伝 統・文化」(伝統的な文化や風習など)、「和」(調和と協調など)、「自然」(自然を愛でることなど)が特徴的であると言えるでしょう。
日本は、大東亜戦争の末に敗戦国となったわけですが、終戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の管理下に置かれたのは皆様が良く知ることと思います。GHQがやったことは、まず天皇の立場を変更し、経済力をそぎ落とすために、財閥を解体し、日本国憲法を時の内閣に押し付け、民族の誇りとなるような文献を燃やし、教育をゆがめ、日本人としての誇りを感じさせるようなものを排除しました。民主主義だけが素晴らしいものであるという画一的風潮を浸透させ、浮かれた個人主義の素晴らしさだけを説きました。それは、GHQがあまりにも日本という国を恐れたからです。二度と立ち上がれないように徹底的に手足を奪わなければ怖かったからです。日本人の精神性は、欧米列国からすると、脅威でしかありませんでした。気高い精神性を兼ね備えた日本人を骨抜きにしたいと考えてやったことです。それほどまでに世界的にも素晴らしい感性を私たちは忘れてしまっていいのでしょうか?
「和の心」は、世界の中で、日本人の美徳として受け入れられています。「和の心」とは、互いを信頼し、集団行動でのルールを守り、他人に迷惑をかけないことをモットーとする精神です。自己主張することよりも、他者を慮り、調和を図ることが日本人の美徳でした。しかし、戦後の日本は変わりました。和の心を無くしてしまった人は国際人とは言えません。「騙されるから人を信用しないで、自分の主義主張は相手を攻撃してでも押し通すことが常識だ。個人主義なのだから、もっと自分を表現して・・・・・
日本の文化は、話し合いによって関係者の感情への配慮やコミュニティの調和を重んじてきました。オオクニヌシの時代から盛んにコミュニケーションが行われました。当事者同士の調和や関係を重視し、新たな創造やビジョンを実現していくことでした。江戸時代にも、村では三日三晩酒盛りをしながら、あーでもない、こーでもないと語り合った記録があります。みな平等に発言でき、反対する人がいなくなるまで、話し合いがずっと続きました。これは江戸時代から始まったものではなく、さかのぼって・・・・・