『種の起源』(1859年)で有名なダーウィンから少し遅れて登場したのが、ロシアの思想家ピョートル・クロポトキン(1842-1921)です。彼は、お互いに助け合うことのできる種こそ生存競争を勝ち抜く能力に長けていると言っています。「相互扶助」にこそが力があると言っています。
草原で夢中に草を食べるシカの集団は、外敵の襲来を互いに気にしていて、仲間の動きもみながら、見張りをしています。そして、そのうちの一匹が敵に気付いた瞬間に、群れは一斉に逃げます。サルの仲間にも、相互扶助意識があります。敵に対しては共同で戦い、餌場に移動する前には斥候を出し、群れが撤退するときには背後の防衛を交代で分担するなど、さまざまな形で助け合います。こうした協力して助け合う意識は、ゾウやチンパンジーなど多くの動物たちにも見られることです。私たち人間はどうなのでしょうか?
クロポトキンは、歴史上は無政府主義者として有名な思想家です。青年時代にシベリアで自然観察調査団のメンバーに加わり、動物の助け合いが生存競争を生き抜くために重要な役割を果たしていることに気付きました。そうして、1902年に『相互扶助論』を出版し、「相互扶助の本能が生物の世界全体を支配している。お互いに支え合うという原則をもっともしっかりと堅持している種こそが生き残り、そうでない種は衰退していく」と主張したのです。もっと正確にいうなら、クロポトキンは、「相互扶助をおこなわなければならない」と説いているのではなくて、「相互扶助は生物にとってあたりまえのことだ、動物の本能だ。だから無くてはならないものなのだ」と言っています。
確かに、人間の「相互扶助」の強さは、すべての生き物のなかで群を抜いていたはずです。少なくとも昔はそうでした。井戸に落ちた子どもを見ればとっさに助けました。困っている人を見れば声をかけました。ホームのベンチでうずくまっている人を見れば「大丈夫か?」と声をかけました。太古の時代から人間の遺伝子のなかに組み込まれた「相互扶助」が今危うい状態になっているのは、ひとえに人間関係が希薄になったことが理由なのでしょう。きっとひとりひとりの心の奥底には、「困った人を助けたい」「誰かの役に立ちたい」といった優しい気持ちが残っているはずです。自分さえよければそれでいいという利己主義の世の中ですが、個人主義という仮面をかぶった利己主義の蔓延を放置することは、人類が滅亡しかねない大きな問題なのです。
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