一般社団法人自然共生社会再生機構
PRAシンクタンク


  PRAシンクタンク
山林散骨評議会
自然菜園評議会
原点生活評議会
伝統療術評議会

 
【現実】現実を知る
【共生】自然と調和して過ごす
【自給】自給自足のススメ
【健康】自然治癒力を向上させる
       
【自立】自分の力で生きる
【災害】災害を生き抜く
【回帰】母なる自然へ還る
【未来】次の時代に備えておく
       
【天体】占星術から読み解く
【易理】自然循環と生活の知恵
【法人】シンクタンク概要
【推薦】PRA認定優良事業者案内
 
 
 

 

 
 
■PRAシンクタンク / 一般社団法人 自然共生社会再生機構回帰:母なる自然へ還る▶古代日本で行われていた弔い
 
古代日本で行われていた弔い
 
 
古代日本で行われていた弔い
 
散骨は、決して新しい葬送方法ではありません。古代の日本でも行われていた伝統的な弔いの方法です。その歴史は古代の日本にまで遡ります。私たちが当たり前だと思っていたお墓のあり方は数百年の政治的方針によるものでした。仏教の伝来や明治以降の制度化以前、古代の日本では、遺体を自然の風雨に晒す風葬や、海や川に流す水葬、そして山林へお骨を還す自然葬が一般的でした。当時は、特定の場所に石を建てて遺骨を固定するのではなく、「魂は山や海へ還り、自然の神々となって子孫を見守る」という自然崇拝の精神が人々の弔いの根底にあったのです。私たちが「伝統」と信じ込んでいる、特定の区画に墓石を建てる「家墓」の制度は、明治時代の家制度や昭和の高度経済成長期に定着した、歴史で見ればごくわずかな期間の習慣に過ぎません。つまり、現代において散骨や自然葬を選ぶということは、単なる流行や簡素化ではなく、日本人が本来持っていた「大自然への畏敬と回帰」という最も深く純粋なスピリットへ、時代を超えて立ち還る美しい営みなのです。
 

 
お墓のはじまり
◆日本におけるお墓のはじまり
 
お墓とは、亡くなった人の体や骨を納める場所や建造物のことをいいます。日本から昔からあるお墓に古墳があります。古墳は土を高く積み上げることによって造られた建造物で、西暦250年頃から600年代頃まで作られていました。その当時作られた古墳は、現在残っているだけでも16万基以上あり、多くの権力者たちがこぞって建造に力を入れていたことがわかります。一番大きな古墳は、大阪にある仁徳天皇陵古墳でしょう。権力者たちは、その大きさや細部に・・・・・・
⇒もっと詳しく
 

 
大昔からあった散骨
◆日本では大昔からあった散骨
 

「散骨」は、新しい供養方法と思われがちですが、実は、その歴史は日本の奈良時代にまで遡ります。「山に遺骨を撒く」という葬送方法は、まさに「死んだら土に還る」の言葉通りに、自然に還る最もシンプルな方法であって、むしろ現代のようにお墓に埋葬するというやり方のほうが新しいものであったのです。「散骨」は、仏教が生まれたインドが発祥地といわれ、実は昔から行われてきた供養方法なのです。インドから仏教の伝来と共に日本に上陸しました。・・・・・・

⇒もっと詳しく
 

 
淳和天皇は山に散骨
◆淳和天皇が山に散骨された話
 

平安時代の歴史書『続日本後記』(巻第九)には、840年に崩御した淳和天皇(上皇)は生前から散骨を希望され、火葬した上で大原野の西山の山頂に散骨されたという記録が残っています。淳和天皇(上皇)の命により遺体は火葬された上、大原野の西山(京都府京都市西京区大原野南春日町)の山頂で散骨されたとなっています。死を目前にした淳和天皇(在位823〜833年)は皇太子の恒貞親王に、「本来自分は飾り立てる・・・・・・

⇒もっと詳しく
 

 
火葬された持統天皇
◆最初に火葬された天皇は持統天皇
 

持統天皇(645-702、享年58歳)は最初に火葬された天皇です。皇室史上3人目の女性天皇です。父は大化の改新を実行した中大兄皇子。律令を制定し、戸籍を整備し、本格的な都を造営するなど、我が国の政治の礎を築かれた天皇です。「藤原京」へ遷都をし、701年の大宝律令は、我が国初の本格的な法典でした。遺詔には、「素服、哀を挙げることなく、文武官の釐務(りむ)は常の如くにし、喪葬の事は専ら倹約に従わしむ・・・・・・

⇒もっと詳しく
 

 
万葉集に残る散骨の詩
◆万葉集に残る散骨の詩
 

古くから日本で散骨が行われていたことを示すものに、万葉集の中に和歌があります。「万葉集」の和歌には、散骨した際の心情が美しく詠まれています。「玉梓能 妹者珠氈 足氷木乃 清山邊 蒔散」
(玉梓の妹は玉かもあしひきの清き山辺に撒けば散りぬる)「玉梓之 妹者花可毛 足日木乃 此山影尓 麻氣者失留」
(玉梓の妹は花かもあしひきのこの山蔭に撒けば失せぬる)・・・・・・

⇒もっと詳しく
 

 
消滅した副葬品埋葬
◆消滅した副葬品の埋葬文化
 

副葬品は、故人様への「最期の贈り物」です。現代では棺の中に遺体と一緒に入れて火葬する品物を副葬品と呼ぶことが多いですが、古墳から数千年前の副葬品が見つかったという話も聞いたことがあるのではないでしょうか。副葬品は、死者を弔う上で、あるいはあちらの世界でやっていくのに必要だと考えられて、共に埋葬された物品です。単なるモノではなく、そこには故人を慕う人達の思いがたくさん込められています・・・・・・

⇒もっと詳しく
 

 
散骨が衰退した江戸時代
◆散骨が衰退したのは江戸時代のこと
 

日本で奈良時代以降、一般的に行われていた「散骨」が、徐々に行われなくなっていった理由は、江戸幕府の宗教統制政策として行われた檀家制度によるものが大きいと考えられています。檀家制度によって葬祭供養の一切はそれぞれが属する寺院が執り行うものとなり、常日頃からの参拝や法要などが義務化され寺院の権限が強化される中で、石造りのお墓に納骨をするという方式が定着していきました。お盆やお彼岸・・・・・・

⇒もっと詳しく
 

 
縄文時代の弔い方
◆縄文時代の弔い方
 

縄文時代には、屈葬が行われていました。身体を曲げた状態で埋葬するやり方です。屈葬は一部のアフリカの地域を除いて、日本以外ではあまり見られない独特なスタイルです。屈葬は「胎児と同じような体勢をとらせることで死者の復活を願ったもの」と言われています。他にも、墓穴を掘る労力を少なくするためという説もあります。屈葬されている遺体の中には石を抱いていたり縛られたりしている遺体が多いことから・・・・・・

⇒もっと詳しく
 

 
弥生時代の弔い方
◆弥生時代の弔い方
 

弥生時代は、大陸から渡来人が日本列島に移り住み、定住するようになった時代です。弥生時代には、木でできた棺に人を葬る習慣が朝鮮半島から伝わり、遺体を木の棺に納める墓(木棺墓)が現れるようになります。屈葬は見られなくなり、身体を伸ばして埋葬する伸展葬が行われるようになります。弥生時代には、大陸から違った文化が流入し、稲作も盛んになったことから、土地の奪い合いも同時に多発するように・・・・・・

⇒もっと詳しく
 

 
古墳時代の弔い方
◆古墳時代の弔い方
 

古墳時代には、弥生時代よりもさらに古墳が巨大化します。権力者のパワーが炸裂した時代です。古墳時代は、日本で盛んに古墳が造られた3世紀から7世紀ごろまでのおよそ350年間をさします。弥生時代と飛鳥時代の間に当たり、日本の古代国家の原型がこの時代にできあがったと考えられています。古墳には前方後方墳、円墳、方墳、帆立貝式古墳などさまざまな形があり、日本には約16万もの古墳があるとも言われて・・・・・・

⇒もっと詳しく
 

 
飛鳥時代の弔い方
◆飛鳥時代の弔い方
 

推古天皇が即位した593年から、平城京へ遷都した710年までの時代を「飛鳥時代」と呼びます。 仏教伝来に伴って、様々な文化や政策や考え方が日本に伝わったことで、日本が大きく変わった時代です。日本という国が天皇を中心とする律令国家を目指し、政策を推し進めたのも飛鳥時代でした。古墳時代の末期と飛鳥時代初期は年代がかぶっていて、飛鳥時代でも古墳は作られているものの、葬儀文化において大きな変化が起こっています・・・・・・

⇒もっと詳しく
 

 
奈良~平安時代の弔い方
◆奈良~平安時代の弔い方
 

奈良・平安時代のお墓や埋葬についてはあまり解明されていません。ただ、わかっているのは、奈良時代に入って、平城京(奈良の都)の内側に墓を作ることが禁止されたことです。ですから、平城京の内側には当時の墓は発見されていません。平安時代に入ってもこの基本方針は変わらなかったようで、天皇や貴族といった特権階級の墓であっても平城京の外に作られました。庶民の墓は飛鳥時代と同じく一定の場所が設けられ・・・・・・

⇒もっと詳しく
 

 
鎌倉~室町~戦国~安土桃山時代の弔い方
◆鎌倉~室町~戦国~安土桃山時代の弔い方
 

鎌倉時代は、革新的な新仏教が一斉に起こった時代です。仏教は、それまでの主に貴族などの特権階級の信仰であったが、鎌倉時代になると、新興階級である武士、さらに庶民も信仰するようになります。解釈やニュアンスを変えて、より実生活や地域に根付いた仏教に進化発展し、後に鎌倉仏教と呼ばれるようになります。従来の貴族を対象とした経典の研究や鎮護国家の思想から、より個人の悟りや社会の救済を目指した信仰・・・・・・

⇒もっと詳しく
 

 
江戸時代の弔い方
◆江戸時代の弔い方
 

鎌倉時代から広まりを見せた火葬文化ですが、江戸時代には再び土葬がメインになります。それには、江戸幕府の封建支配のために朱子学を重んじたことが原因と考えられます。江戸時代は、儒教の隆盛期であったことも知られています。江戸幕府は、儒教の教えを天下統治の普遍原理にして全国にくまなく徹底したことが知られています。江戸時代の封建制度は儒教の教えを中核にして形成されたものです。儒教を宗教としてではなく・・・・・・

⇒もっと詳しく
 

 
明治~大正時代の弔い方
◆明治~大正時代の弔い方
 

明治維新によって生まれた新しい政府は、仏教の排斥とキリスト教の普及を目的として自葬祭の禁止を打ち出しました。しかし、土葬用の土地が足りなくなっったことや、火葬再開を望む声が多かったことで、火葬禁止令はわずか2年ほどで撤回されることになり、土葬と火葬が並行して行われるようになります。表向きには、神道の推奨も目的だったとされていますが、新体制を確立するために、天皇を中心とした支配体制・・・・・・

⇒もっと詳しく
 

 
A級戦犯海洋散骨の意味
◆A級戦犯海洋散骨の意味
 

第2次世界大戦後の極東軍事裁判。いわゆる東京裁判では、太平洋戦争開戦時の首相であった東条英機元首相(1884年12月30日~1948年12月23日)ら7人のA級戦犯が死刑判決を受けましたが、遺骨は遺族に返還されず、どのように処理されたのか、長い間詳細は分かっていませんでした。日本大学の高沢弘明専任講師がアメリカの国立公文書館で入手した公文書は、死刑執行に立ち会った将校が記したもので、「遺体の火葬後・・・・・・

⇒もっと詳しく
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
お墓のはじまり 大昔からあった散骨 淳和天皇は山に散骨 火葬された持統天皇 万葉集に残る散骨の詩 消滅した副葬品埋葬
お墓のはじまり 大昔からあった散骨 淳和天皇は山に散骨 火葬された持統天皇 万葉集に残る散骨の詩 消滅した副葬品埋葬
         
散骨が衰退した江戸時代 縄文時代の弔い方 弥生時代の弔い方 古墳時代の弔い方 飛鳥時代の弔い方 奈良~平安時代の弔い方
散骨が衰退した江戸時代 縄文時代の弔い方 弥生時代の弔い方 古墳時代の弔い方 飛鳥時代の弔い方 奈良~平安時代の弔い方
           
鎌倉~室町~戦国~安土桃山時代の弔い方 江戸時代の弔い方 明治~大正時代の弔い方 A級戦犯海洋散骨の意味    
戦国時代の弔い方 江戸時代の弔い方 明治大正時代の弔い方 A級戦犯海洋散骨の意味    
           
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
危機に直面する世界のお墓事情 現代墓・火葬・散骨葬の問題点 古代日本で行われていた弔い
     
危機に直面する世界のお墓事情 現代墓・火葬・散骨葬の問題点 古代日本で行われていた弔い
危機に直面する世界のお墓事情 現代墓・火葬・散骨葬の問題点 古代日本で行われていた弔い
     
     
     
仏教や神道など宗教からみた散骨 スピリチュアルの視点から見た散骨 山林散骨・樹木葬が最も賢い選択
     
仏教や神道など宗教からみた散骨 スピリチュアルの視点から見た散骨 山林散骨・樹木葬が最も賢い選択
仏教や神道など宗教からみた散骨 スピリチュアルの視点から見た散骨 山林散骨・樹木葬が最も賢い選択
     
     
失敗しないために!墓じまいと生前予約 散骨に関する法律を知る 自分で行うDIY弔いの方法
     
失敗しないために!墓じまいと生前予約 散骨に関する法律を知る 自分で行うDIY弔いの方法
失敗しないために!墓じまいと生前予約 散骨に関する法律を知る 自分で行うDIY弔いの方法
     
     
     
ペットも大事な家族の一員だから    
     
ペットも大事な家族の一員だから    
ペットも大事な家族の一員だから    
     
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
山林散骨
◆森に散骨する自然葬
 
【散骨山】は、「山林への散骨」をおすすめさせていただいております。散骨した森には、その後いつでも墓参をすることができるからです「故人に会いたくなったら会いに行ける場所」とご理解ください。「山林への散骨」では「心の拠り所」を失うことには決してならないでしょう。海洋散骨のように、広い海のどこかに遺骨を流してしまったことで、永久に離れ離れになってしまったような寂しさや虚しさにさいなまれることもあるかもしれません。「墓じまい」をしても、 心の拠り所も失わない方法。それが「山への散骨」です。散骨場所には、墓石などの墓標やモニュメントはございませんが、「この森にいるんだなあ。」と認識することができるはずです。散骨山では、ただ遺骨を撒くというだけでなく、心を込めた弔いのセレモニーを大切にしています。 ・・・・・・
⇒もっと詳しく
 

 
山林散骨・合同散骨代行プラン 山林散骨・個別散骨代行プラン 山林散骨・立ち会い散骨プラン
     
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
海洋散骨
◆海に散骨する自然葬
 
【散骨山】の「海洋散骨」は、夜の時間帯に散骨セレモニーを行うのが特徴です。夜の時間帯の海は、日中よりも悲しく物悲しい感じがあります。特に月夜の幻想的な夜の海は、思い出に残る弔いセレモニーができます。海は常に変化しており、さまざまな表情を見せてくれますが、刻々と移り変わる海は、まるで私たちの心を表しているかのようです。大切な人を海洋散骨で送り出すと、海を見るたびに故人を思い出すことができるでしょう。・・・・・・
⇒もっと詳しく
 

 
海洋散骨・合同散骨代行プラン 海洋散骨・個別散骨代行プラン 海洋散骨・立ち会い散骨プラン
     
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
散骨自然葬のさんこつやま
 
◆山林散骨・海洋散骨の散骨山(さんこつやま)

【散骨山】は、何も残さず土に還る自然葬。地球の一部になる散骨自然葬。「森に散骨する自然葬」と「海に散骨する自然葬」。土に還る散骨は、森で弔う日本古来の葬送方法。海流に乗って地球を旅する散骨は、世界的な潮流。すべてのプランがその後の管理が要らない永代供養。個別散骨代行プランは後日写真でご確認いただけます。遺族が立ち会う山林散骨プランでは、その後いつでも自由に【墓参】ができます。郵便局から送るだけで【散骨】が完了します。日本全国の郵便局からお送りください。【墓じまい】後のご遺骨もおまかせください。家族割引や生前予約などの関連サービスもございます。・・・・・・

⇒もっと詳しく
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
自分でできるDIY散骨ガイド
 
◆自分でできるDIY散骨ガイド

PRAは「自然に還る散骨プロジェクト」を推進しています。花さかじいさんの自然葬情報ポータルサイトでは、費用をかけずに、なるべく自分でするDIY散骨のやり方がわかります。これさえ読めば、葬儀のこと、お墓のことでもう悩まなくなります。散骨のエキスパートとして周りにアドバイスできる立場にまでなれることでしょう。「運搬~葬儀~散骨」まで、ぜんぶ自分でできるようになるでしょう!自分で散骨するわけではないという方もぜひ!「もう騙されない」、「決してぼったくられない」、しっかりとした知識を身に着けて、悪徳業者から身を守る術も身につきます。完全無料ですので、ご一読ください。・・・・・・

⇒もっと詳しく
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 

 
 
 
 
 
 
PRAシンクタンク 100年先の未来に向けて地球を再生する設計図
 

自然菜園評議会
NATURAL FARMING
FOR ALL LIVING THINGS

原点生活評議会

PRIMITIVE LIVING
WITH OLD WISDOM

伝統療術評議会

ANCIENT BODYWORK
FOR WELL-BEING

山林散骨評議会
SCATTERING ASH IN FOREST
TO HELP THE EARTH
 
 
PRA(一般社団法人自然共生社会再生機構)
206-2-20-8 Ebisu-nishi Shibuyaku Tokyo #150-0021
3-13-25 Gokurakuji Kamakura Kanagawa #248-0023
http://pra.or.jp